私は沖縄県在住の27歳男性である。大学卒業後に今の会社へ就職し、今年で6年目になる。仕事は充実しており、給与も満足のいく額をもらっている。独身で一人暮らしをしており、少なくとも明日の生活について不安に感じたことは一度もない。
私は一人っ子で、佐賀県の片田舎にある、比較的裕福な家庭に生まれ育った。甘やかされて育ったと思う。「人様に迷惑をかけることだけはするな」というのが両親の口癖であり、テストで悪い点をとったり、練習が辛くて少年野球をやめたいと言ったときも、決して怒られることはなかった。それどころか、私が何かをやりたいといったときは、喜んで協力をしてくれた。中学、高校の部活はバスケットボールであったが、母は遠征に行く際には必ず早起きしてお弁当を作ってくれたし、父はバスケットボールの経験がないにも関わらず、ルールを覚え審判員の資格を取り、練習試合の審判員を務めてくれた。
出来が悪く、地元の国立大学に落ち、地方の私立大学に行かせてほしいと頼んだ際も、返ってきたのは2つ返事であった。大学生の頃には私に毎月5万円ずつ仕送りをし、食べ物に困っていないかと、お米や野菜をたくさん送ってくれた。
私が当たり前だと思っていた生活が如何に恵まれたものであったのか。里親シリーズ「今が春よ!!」を読んで私が感じたのは、私は両親からどれだけの愛情を注がれ、守られて育ってきたのか、という両親への感謝であった。
村山水恵子さんの手記において、「だけどオバさん、そこに居るときは良い子でいるしかないじゃない。そうもいって里子の置かれた心境を明確に浮き上がらせてもくれる。よい子を反転させれば生存がおびやかされる・・。命をつないで私の前にいたとき、彼女はいくたびこの言葉を飲み込んだことだろうか。」という一文がある。
生活する家も、学校も、習い事も、食べ物すらも、自らの意志で選択できず、命をつなぐためには、大人の顔色を窺わなければならなかった亜美さん、正男さん、明男さん、吉男さんの心労は一体どれほどのものであったのだろうか。そして、傷つき、葛藤し、苦しみながらも里子さんと向き合い続けた村山さんご夫妻と2人のお子さんの戦いには、如何ほどの葛藤があったのか。
日々の戦いは私の想像をゆうに越え、雲の上を突き抜けてしまうように感じるが、同時にそれを乗り越えてこられた亜美さん、正男さん、明男さん、吉男さん、村山さんご夫妻と2人のお子さんの間の絆というものは、手紙の端々から零れ落ちるほど煌びやかに、私の目に輝いて映った。
私は恐らく、生涯において里親になることはないであろう。村山さんご夫妻のような、覚悟も胆力も私にはない。偽善や気まぐれで里親はできないことを痛感した。
しかしながら、私に子どもができた際は、私が両親から受けた愛情と同じだけのものを注ぎたい。子どもにとって親からの愛情がどれほど重要であるかはいうまでもない。愛されないということが、子どもにどれだけ悪影響を及ぼすのか、里子の例をみれば明らかである。
両親の愛に感謝し、わが子に同様の愛情を注ぐことが、新たな里子を出さないために最も重要なことであると私は考える。